当寺院は浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が、流罪により京の都から越後へ向かう道中にお立ち寄りになった親鸞聖人御旧跡寺院です。承元元年(1207)に辻の道場として創建され、平成19年(2007)には開基800年を迎えました。親鸞聖人ゆかりの法宝物などが残されています。
辻徳法寺の歴史
辻徳法寺は承元の法難によって京の都から越後国・国府(現在の新潟県上越市)へ流罪となった親鸞聖人が、その道中に越中国桜井の荘(現在の富山県黒部市)にて、当寺院の先祖である辻源左衛門時国(つじげんざえもんときくに)の宅で一夜の宿を借りた事が縁となり、後に源左衛門によって「辻の道場」として創建される。続きを読む
史跡 三本柿
流罪による越後への道中に辻徳法寺の先祖である辻源左衛門時国(つじぜんざえもんときくに)宅へ止宿された親鸞聖人は、源左衛門夫婦に夜通し説法をされ、近くに住んでいた経田屋太兵衛の老婆も襖の外でその説法を聴聞していた。続きを読む
聖徳太子南無仏二歳の尊像
その昔、内山村(現在の富山県黒部市宇奈月町内山)の奥のウナヅキ谷に朝不動が滝という滝があり、朝の五つの刻に峰から落ちる滝水に不動明王の尊像が現れるという話があった。そして慶長8年(1603)秋の頃、内山村の猟師である治郎右エ門に三日三晩お告げがあったのでその滝つぼへ行ってみると、光り輝いた尊像が現れた。 続きを読む
鉄造阿弥陀如来坐像
当寺院の史料の明治33年(1900)の頃に「今年六月立山弥陀原野ニ安置ノ蓮座ノ阿弥陀佛、女川磯次郎ノ盡力ニ依り当山ノ法寶トナリ」と記載がある。平成26年に行われた富山県立山博物館と富山考古学会による協同調査では、背面に「文暦二年」の銘文が見られ、これは鎌倉時代前期である文暦2年(1235)に造られた、国内で三番目に古い非常に貴重な鉄製の仏像であることが判明した。続きを読む