その昔、内山村(現在の富山県黒部市宇奈月町内山)の奥のウナヅキ谷に朝不動が滝という滝があり、朝の五つの刻に峰から落ちる滝水に不動明王の尊像が現れるという話があった。そして慶長8年(1603)秋の頃、内山村の猟師である治郎右エ門に三日三晩お告げがあったのでその滝つぼに行ってみると、光り輝いた尊像が現れた。治郎右エ門は大変驚くとともに我が家に持ち帰った。ところがおよそ百年が過ぎた江戸時代の元禄年中(1688~1703)に治郎右エ門の家に夢のお告げがあり、辻徳法寺へお移りになられたのが「聖徳太子南無仏二歳の尊像」である。聖徳太子像は緋の袴を履いておられるが、上半身が裸であり、寒くて気の毒だろうという事で遠くは北海道から近所の門信徒の女性の方々より、寄進された手作りの聖衣を身にまとっている。古くは大正時代から昭和、平成と現在に到るまで寄進いただいた聖衣は50着を超え、盂蘭盆会(うらぼんえ)には虫干しを兼ねて本堂外陣に飾られる。平成30年(2018)には黒部川開発100周年記念事業にて、「お太子さま迎え」として約400年ぶりに宇奈月の地へ里帰りして拝観された。