6月の伝道掲示板
正信偈のこの言葉の前には煩悩障眼雖不見(煩悩に眼を障えて見たてまつらずといえども)という文言があります。私たちは自分中心の価値基準の世界が絶対だと思い込み、そこで苦しみながら一生懸命に生きています。しかしそんな私を哀れに悲しむ仏さまの心は、私たちが気付かなくても常に私たちに向けて、「あるがままを生きなさい」と呼びかけています。
正信偈のこの言葉の前には煩悩障眼雖不見(煩悩に眼を障えて見たてまつらずといえども)という文言があります。私たちは自分中心の価値基準の世界が絶対だと思い込み、そこで苦しみながら一生懸命に生きています。しかしそんな私を哀れに悲しむ仏さまの心は、私たちが気付かなくても常に私たちに向けて、「あるがままを生きなさい」と呼びかけています。